この本を知ったのはまだ翻訳される前で、確か3,4年ほど前のはてなダイアリーで洋書の紹介をしているブログではなかったかと思う。
表紙を初めて見たときには、山藤章二の描く筒井康隆の似顔絵を想起した。確か「美男すぎるので描けない」という理由で顔を空白にして描いていたのである。
本書は顔面に障碍のある少年の話なので、表紙がこのように描かれているのはいわば逆の理由である。
顔貌がはっきりと描写されている箇所は本書中、一箇所しかない。そこに到るまでの間は、心ない酷い言葉で少年が傷つけられるのでそれとなく間接的に知れる程度である。
ところで、ぼくの名前はオーガスト。オギーと呼ばれることもある。外見については説明しない。きみがどう想像したって、きっとそれよりひどいから。
もともと主人公は自宅で勉強していたところ、行きたくないと思っていた近所の学校に通うことになった、というのが物語の始まりで、学校側が配慮してあれこれ手助けをするのだが、それが完全にうまくは機能せず、かえって事をこじらせ、複雑にしてしまう。
パート1から8まである中、1のラストがショッキングで、喜びの絶頂に到るはずが悲しみと絶望のどん底に突き落とされてしまう。キングの「キャリー」も青ざめるほど残酷な成り行きである。
しかし2からは語り手が主人公の姉になることによって、少しずつ事態が客観視され立体的になってくる(その後もリレー式に語り手が推移する)。
誰もが100%の善人ではなく、100%の悪人でもなく、それぞれに事情や考えや立場があるといった当然のことが少しずつ明らかになって、その過程の描き方が実に見事だった。
図書館で借りて読んだので「小学5・6年生向き」というシールが貼られているのだが、大人が読んでも充分すぎるほど全編が無駄なく書かれている。
どうも犬の具合が少し悪そうだとか、ヘルメットの件など「ややおかしい」と勘付かせておいてから丁寧に、かつ絶妙のタイミングで伏線を回収するので、大人向けの標準的なミステリにやや飽きている人にはお勧めである。
また「スター・ウォーズ」「サウンド・オブ・ミュージック」「幽霊と未亡人」など、映画に関する言及がちょくちょくある。「幽霊と未亡人」は未見だが、意味のない小道具として出てきているとは考えづらいので、やや気になる。
芝居ではソーントン・ワイルダーの「わが町」や「エレファント・マン」への言及もある。こうした引用の多さも本作の魅力で、古今東西の格言を収集させる先生が出てきたりもする。
ある種の困難を前にした際に「過去を参照せよ」という姿勢は全編を通じて直接・間接的に感じられるところで、何らかの情報に多量にアクセスできる状況を踏まえている点においては現代的でもある。
- 作者: ソーントンワイルダー,Thornton Wilder,鳴海四郎
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2007/05/24
- メディア: 文庫
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全体的に目をそむけたくなるような酷い場面もあるものの、知的な明るさに満ちた文章なので暗くはならない。
語り手が次々と変わる中で、最後まで両親のパートは出てこない。また、悪役的な人物のパートもないのだが、これでは欠席裁判的で書き足りないと考えたらしく、その部分は続編で補われているらしい。
追記:冒頭に書いたブログを調べたら見つかった。2年ほど前のはてなブログの「未翻訳ブックレビュー」だった。