小林賢太郎はコントや芝居、あるいは一人芝居風の独自のコントを行い、映像作品を作り漫画も描く人である。名前の通りクレバーで、物言いがシンプルでストレートで飾り気がない。
といって作品は難解ではなく、むしろ親しみやすい雰囲気がある。
難解さを取り払うだけの配慮や、丁寧な「行き届いた感じ」があるという印象である。今ではユーチューブで昔のコントを大量に見ることができる。
ちなみに私が最初に衝撃を受けたのは「新噺」というコントで、これは再見してもかなり凄い。
ごく一般的な「落語家」のイメージをなぞる様な感じで始まるのだが、物まね芸というよりは落語家のする仕草の完コピとでもいった風である。ある主題が次々に変奏を繰り返すような流れになって、コントというよりは音楽や概念の推移を目で見ているようだ。しかも、最終的にはコント特有の可笑しさがふわっと残る。
本書はタイトルが「僕がコントや演劇のために考えていること」と、シンプルでストレートで飾り気がないタイトルになっている。この本質を突いた単純さが生む、そこはかとないユーモアも氏の持ち味である。
タイトルに「僕」や「ぼく」が入るのは通常あまり好かないが、このスタイルが似合うのは大江健三郎と植草甚一と早川義夫と小沢健二と小林賢太郎くらいしかいないのではないだろうか。
内容は創作にあたっての心構えや姿勢、考え方についてで各項ごとにタイトルと本文が1,2ページ程度という構成になっており、30分程度で読める量だが中身は濃い。
こことここだけが良かったので、そこだけ書いておきます、といった紹介の仕方が難しいほど平均的に質が高い。
よって少し例を挙げる程度しかできない。
少しでも興味を感じられた方には、おそらくコントや演劇以外の創作や仕事のヒントにもなる筈なので、全部を読むべき本として推薦したい。
アイデアは「ひらめく」とか「おりてくる」と表現されることがありますが、僕は「たどりつく」ものだと思っています。
0から1をつくるということは、とても難しいことです。けれど、必死にもがき苦しめば、0.1くらいは作り出せるものです。あとは、それを10回繰り返せばいい。
僕は、自分の表現力を丁寧に鍛えたくて、強い出来事をあつかうのを避けています。極端でない、激しくない、登場人物にとっての日常、これで見応えをつくれる実力がほしいのです。
コントでも演劇でも、作品をつくるにあたって、僕はよく「どんなふうに褒められたいか」を想定します。理想の褒められ方をできるだけ具体的に言葉にするのです。
上記は本文からの引用で、個々のパートのタイトルだけでほぼ内容が伝わりそうなものも幾つかある。
「タイトルに仕事をさせる」
「朝6時からのゴールデンタイム」
「つくる順番は「しくみ」「オチ」「素組み」「装飾」」
などなど。