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読んだ本の感想やメモなど

「井上ひさし全選評」井上ひさし

「井上ひさし全選評」は大部だがスラスラ読めて、暇つぶしには最適の読み物である。この種の文章を一度に多く読むと、選評というよりゴシップの要素の方が強いような印象を受ける。

「あの有名な作家の誰それさんって、どんな小説を書いているんだろう」「評判になったあの作品、実際はどうなのかしら」という興味に一定の答えを与えてくれるので、作品そのものを知らなくても、何となく分かったような気にさせてくれる。

小説や演劇の世界での「残る」「残らない」という問題についても考えさせられる。演劇そのものは運が良ければDVDとして少しは流通するが、そうでないものが大半である。演じる側は「一回限りの舞台に賭ける」といえば恰好いいが、観客としては過去の作品に触れづらいのはもったいない。候補作も受賞作も、時間と共に消えるだけ、世の中にほぼ存在していない、というのはかなり虚しい。

 

 

小説も似たような運命をたどっている。文庫化までは辿り着くが、それ以降はほとんどの場合、単に品切れや絶版になるため、数十年前の作品に新刊書店でお目に書かれるかというとほぼ不可能である。ただ古本屋や図書館の存在があるだけ恵まれているともいえる。

賞の上下関係もはっきりと、よく見える。新人賞の段階では絶賛だった作品が、直木賞となるとかなり厳しいことを言われてしまう(「後宮小説」など)。直木賞という一定のラインは確かに存在するようで、そこそこの作品でも長所と同じか、やや抑え目に欠点をビシビシ指摘しており、こういった箇所は読みごたえがある。今はプロアマ問わず、短所を述べる人も減っているだろうし、上から欠点を突いたつもりで下から反論され、大恥をかくケースもある。今後はもう、短所を正確に指摘するだけの立場や実力の持ち主が出てこないかもしれない。

直木賞のラインを余裕で通過する人というのは「落ちることもあるが基本はスイスイと、難なく通る」という力量と余裕が伺える(宮部みゆき、高村薫、京極夏彦など)。直木賞以外でもスイスイと通過した痕跡だけが残っている人もいる(川上弘美、小川洋子など)。

将棋でいうとプロになる前の奨励会を「地獄」と見る人もいれば、一期でほぼ全勝、はい通過、はいプロですよというレベルの人もいる。割合では十年で数人、出るかどうかというくらい。その後はタイトルを目指してピラミッド型の序列の中で勝ち抜くことが目標となり、上に進むと対局料が上がる。

小説の場合、直木賞や芥川賞の先、というか「上」には谷崎賞や読売文学賞があるのだが、なぜかこちらは注目度が低く、華やかでもなく、人気作品でもなく、半古典的な名作扱いでもなく、中堅以上の作家への功労賞のような雰囲気になっている。

選評もどこか熱がなく、余所余所しい、他人事のようで「一応ご挨拶しておきます」的な素っ気なさ、お仕事的なコメント感が漂う。