半村良の「小説 浅草案内」を読んでいる最中だが、この作品のようにタイトルにわざわざ「小説」と入れる理由は何であろうか。
作者自身と思われる主人公や実在の人物が登場するので、どちらかというと随筆風である。にもかかわらず「小説」とわざわざ宣言するのは「浅草案内」というタイトルにつられて本当の観光案内を期待しないで下さいよ、と念を押しておく意味ではないか。
「これは随筆風の小説なんですよ。ちょっと事実っぽく見せてはおりますけれども、そこはそれ、まったく事実そのままと思われたら色々な方面にご迷惑をかけることになるかもしれない。ですから、わざわざタイトルに小説、と入れておきます。どうぞ、そのあたりをご理解いただければ幸いでございます」
およそこういった意味かもしれない。それなら理解できる。
ついでに岩波文庫の「漫画 坊っちゃん」はどうか。
これは元々の「坊っちゃん」が有名なので、
「有名な小説の坊っちゃんの漫画版ですよ!」
という意味になる。概ね手にとればわかりそうなものだが、実物がなくてタイトルと作者名だけで判断しなければならない人もいるので、これも理解できる。
では、ここで応用問題を一つ。
「小説 吉田学校」はもちろん小説だが、
これには映画版もあり、タイトルは「小説 吉田学校」のまま、
さらに劇画版の「劇画 小説吉田学校」もある。
これらはそれぞれ、どのような意味でタイトルに「小説」と入れているのだろうか。「映画 吉田学校」「劇画 吉田学校」では作者が納得しなかったのだろうか。そもそも「吉田学校」だけで通せば通りそうなものだが、実在の学校からクレームでも入ったのか。
他にもたとえば「まんが 日本むかしばなし」はどこからどう見てもまんがではなくアニメだし、「朝の連続テレビ小説」は、どう見ても小説ではなくドラマである。「ごはんですよ!」の蓋をあけても、ごはんが入っていたためしがないし、「お~い お茶」の「お~い」は不要だし、Mr.チルドレンは子供じゃないし、椎名林檎は林檎じゃないし、美空ひばりは鳥じゃないし、星新一は星じゃないし、何が言いたいのか自分でもわからなくなってきた。