「二十世紀」は2001年の1月に出た本で、20世紀の100年を1年ごとに4ページのコラムで描いたもの。それを橋本治が一人でやるのだから凄い。
買ってほとんど読まずにいて、先月末からおよそ10日ほどかけて、行きつ戻りつしつつ読了した。
これは有益な本だった。歴史という科目が嫌いだったので、当然ながら近現代史にも弱い。いま考えると自分が近現代史に感じていたわかりにくさやとっつきにくさにはいくつか理由があると思う。
1、第一次世界大戦あたりから特に、各国間の関係、利害や経済や思想がゴチャゴチャしてきてわかりにくくなる。
2、戦争の根本原因が曖昧で、そのくせ戦争の後には必ず「戦争はいけません」というお説教がついてくる。
3、「マルクス主義」「社会主義」「共産主義」に魅せられる人間の気持ちがよくわからないし、怖れる人間の気持ちもよくわからない。
4、70年代後半くらいからは日本国内の出来事も覚えているので実感できるが、戦後から冷戦、宇宙開発競争、60年安保、キューバ危機、東京オリンピック、全共闘、オイルショックあたりまでの流れが今ひとつわからない。
5、特に学生運動関係がよくわからない。何が彼らをそこまで熱くしていたのか、実感がわかない。
といった辺りだろうか。しかし四方田犬彦の「ハイスクール1968」を読んだ頃から、何となく60年代と70年代のつながりが実感できるようになったのでこの本も読めたという感じ。
政治関連の事項の羅列でなく、経済、風俗、文化に対する目配りの広さと分析の明解さが常にあって飽きない。1年ごとに世界が少しずつ動いた結果が20世紀なのだ、ということがおぼろげながらにも理解できた……、ような気に一応させてくれる。
以下はこの本からの引用。
二十世紀は「普及の時代」だった。つまり、「自分ではなんにも発明しないで他人の発明品を売るだけの猿マネ日本人」には、とても似つかわしい時代だったということである。
十九世紀から二十世紀までがなんでゴタゴタ続きの時代かと言えば、その根本は“商売”にある。
産業革命で作りすぎた商品を買う相手を求めて、十九世紀ヨーロッパのアジア侵略は始まる。軍隊をバックにしたセールスマンがアジアにやって来て、「買わないならこっちにも考えがありますよ」と脅す。
一九二〇年代から三〇年代というのは、「金と暴力」だけで成り立っていたようなものである。こっちは、もう少しまともなもんなんだと思って「分かろう」としていたのに、出て来るのは「異国の言葉を喋る金貸しと暴力団だけだった」というのが、実は、第一次世界大戦後の欧米情勢なのである。まともな人間にわかるはずはないのである。
二十世紀になって、金貸しは「投資家」というものに姿を変えたが、「投資家」とは金貸しなのである。「誰でも金貸しになれる」というのが、二十世紀先進国の開いた世界状況なのである。
人間のこわさというものは、その初めに極端で矛盾に満ちた方針を立てると、やがてそれに合わせてもっともっと極端な矛盾を冒し始め、その極端や矛盾を「極端」や「矛盾」と自覚しなくなるところにある。ポーランド人やユダヤ人を虐殺していたドイツ人達には、おそらく、自分達のしていることが殺人だという自覚はなかっただろう。
「出来るか?」と問われることは、日本人にとって、「出来るように無茶な努力をする気があるか?」と問われることなのである。
一九四五年に第二次世界大戦が終結した時、その先の歴史がどのような道筋を歩むかを考えるグループには、二種類があった。「この後社会主義・共産主義が勝利する」と考えるグループと、「この後社会主義・共産主義は勝利しない」と考えるグループである。
日本人にとって、占領は“屈辱”であったはずだが、しかしその“屈辱”は、どこか安全なものだった。それはほとんど、「重大犯罪を犯しながら、まだ幼くて自分のしたことにピンと来ていない未成年が、少年法の適用を受けた」というのに似ている。
「共産主義への恐怖」は、既に十九世紀からある。その恐怖は、「私有財産を否定する共産主義は、せっかく得た我々の財産を奪う」という恐怖である。しかし一方、共産主義は、「他人への痛み」を前提とする思想でもある。世の中には貧困で苦しむ人間がいる――それはなぜだろうと考えて、共産主義は多くの共感を得た。多くの金持ちの坊ちゃんが共産主義の影響を受けたのは、そのためである。
被害者意識を持つ必要のない金持ち大国に被害者意識が生まれてしまった――根本の倒錯はこれなのである。冷戦以後の世界には“豊かさ”が溢れ、しかし、なんだか落ち着かなかった。その理由はなんだろう?その底に、不安な被害者意識が眠っていたからである。
物を買い続け、買わせ続けて、ついにはゴミの山になった。「それが達成された後に必要なのはなにか?」を昭和三十年代の日本人に問うのは酷かもしれない。しかし、生活にモラルがあったのはこの時代までだった。
戦後の日本はせわしなかった。それを加速させるように、「昭和」という基準と「西暦」という基準が入り交じって、五年目ごとに「新しい時代」を招来させていた。
ウォルト・ディズニーに象徴される「美しい建前」がなくなるのが、一九六七年である。
「東大という大学の権威をカサにきて、大学当局は自分の過ちを認めない」――これが東大闘争を拡大させ、翌年の「安田講堂の攻防戦」にまで至った唯一の理由である。とんでもなく難解な言葉と理論が飛び交った東大闘争の根本にあったものは、いたって分かりやすく具体的なものなのである。
一九七〇年から始まるのは、「思想」を必要としない「大衆」の時代なのである。
日本人というものは、どうやらとことん、政治家を信用していないのである。「悪いことをしても決して逮捕されないほどに悪い」――それが日本国民の思う政治家なのである。
かくして世の中は変わった。既成の文化は、“権威”という年金をもらうだけの定年状態となり、知性を欠落させた「大衆の時代」が定着する。新しいものはなにもない――と同時に、鳴らされるべき警鐘もどこにもない。
あとがきから。
もし自分の一生で本が一冊だけ書けるのなら、そのことを書きたいとだけ思っていた――ということが、この仕事を引き受けた時に分かりました。
注:この感想は2003年頃のメモである。その後この本は文庫化されて、上下巻の分冊になっている。