チェーホフを読んだのは吉田秋生の「櫻の園」を読んだ際に、漫画の中で上演される戯曲も読んでおこうとしたのが最初ではないかと思う。
しかしどうもチェーホフの小説も戯曲も、ゴニョゴニョして、もやもやとして、メリハリに乏しい印象なので、その後に読んだ幾つかの作品もほとんど記憶に残っていない。
今回の「かもめ」もラストは印象的だが、不朽の名作だという前提がなければ読み終えるのが難しかったかもしれない。正直な話、内容よりもむしろ解説に書かれていた解釈の方が面白かった。
というのはこの芝居は「悲劇」として捉えるのが当然と思うのだが、そのような声に対してチェーホフ自身は「喜劇」であると反論しているという。そういわれてみれば喜劇かもしれないが、随分と辛辣な目で見なければそうは見えないのではないか。
と思っていたら、たまたま映画「マダムと泥棒」を観る機会があった。こちらはいかにもイギリス的なブラックユーモア満載、と紹介されるような作品だが、遠目に見ると結局「善は栄え、悪は滅びる」という勧善懲悪的なストーリーでもあるので、期待したほどブラックではなかった。
解釈しだいで正反対の受け止め方になるという作品は、ありそうで珍しい。もしチェーホフが「マダムと泥棒」を観たら、喜劇と見るか悲劇と見るか、どちらになるだろうか。