めちゃくちゃブックス

読んだ本の感想やメモなど

「流れる」の原作と映画

このところ以前書いた読書日記を読み返しながら、こちらのブログに移せそうな記事は移している。中には読んだことをすっかり忘れていて、新しい発見をしたような気になる本もある。

 

楽しみと日々

楽しみと日々

 

 

例えば金井美恵子の「楽しみと日々」を図書館で借りて読んで、感想は以下のようなもの。

 

金井美恵子の書く悪口にはやや食傷気味だったので、最近あまり読んでいなかったけれども、たまに読むと何となく気分がしゃっきりしていい。雑誌「和楽」の読者を揶揄したような表現があったので何故だろうと思っていたら、このエッセー自体が「和楽」に連載されていたのだと最後に知った。

 

「流れる」は原作より映画の方が100倍良い、と筆者は言っているが私は原作の方が100倍良いと思う。

 

後半の「流れる」の評価に関しては、すっかりそのような記述があったことを忘れていた。自分は原作の方がかなり好きで、後になってから映画を観たせいで印象が薄いのかもしれない。

 

流れる (新潮文庫)

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流れる [DVD]

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原作を読んだ時の感想もあった。

 

四十すぎの未亡人の主人公が、芸者置屋の女中となって働く話。

これでもかこれでもかというくらい、何もかもが二重性を帯びて現れてくる。

人は皆、口で言うことと本音を使い分けるし、声色も使い分けるし、猫や子供まで腹黒く、騙し騙されて生きている。廊下に金が落ちているだけで、主人公はそれを何かのテストだと勘繰らざるを得ず、裏を読んで勘繰った姿勢が評価されて二重の国の住人として認められるような世界である。

主人公の名前さえ「梨花さん」「春さん」とが併用され、文章も猛烈に一人称寄りでありつつ三人称で、いわば二重の国のアリス。

素人が玄人の世界に慣れるまでのスリル、生活の中でのサスペンスが山盛りで、少し休ませてくれと言いたくなるくらい絶え間なく続く。

年末年始でちょっと一息つくものの、そのうちに芸者置屋の税金未払い問題や訴訟問題が煮詰まってきて、やがてクライマックスへとなだれ込む。

表紙はいかにも「古きよき日本情緒を描いてますよ」という感じだが、稀にみるサスペンス小説という印象。文章の自由闊達さに酔う。最近、翻訳文の日本語を読んでばかりだったので、生き返るような心地がする。

ラストもいい味だし、犬や猫の使い方も面白い。幸田文の文章万歳!

 

この感想を読み返すと、自分はこの小説に「二重性」と「スリル」を読み取って興奮している。確かに「流れる」の面白さは、スパイ小説などのスリルや孤独と質的に通じる点があると言えなくもない。しかし珍しい種類の感想で、こういう読み取り方をしている自分が、原作と映画を比較しても普通の意見になる筈がない。

なぜか原作についている解説は大抵「オノマトペの多用」という点を力説する傾向があるし、映画を持ち上げる人は原作を読んでおらず、文章の良さを知らないのではないかと思う。よってどちらが100倍良いと騒いでも、自分が誰かと議論してもちょっと噛み合わないのでは、というのが今の冷静な感想である。

 

最後に原作の文章の中から、雪が降ってくる場面を書き写しているので、それを貼っておく。

主人公の梨花は芸者屋の家事手伝い人、会話の相手は車屋の挽き子(若い男)で、実際の文章は「車」の字の横にはにんべんが付く。

 

 「じゃお願いします」と行きかけると、「あ、雪だ。やっぱり雪だった。初雪でございますよ」と若く弾んだ声を出す。
「あら、ほんとに。」
「十一月から初雪じゃあちっと早すぎますよ。ことしは雪年だって親方がさっきそう云ってたんですが、えらいもんだやっぱり経験者にはかないませんね。あの、お宿がございましたらお客様をお送りいたしますんでしょうか。それならご返辞に伺いますとき、わたくし車持って参りましょうか。」
「さあ、あたし伺ってきませんでしたが。それにお時間の都合もあるでしょうし。」
「それもそうでございますね。ではとにかくご返辞にだけ伺います。」
 透かすと、雪は大気を押しわけるようにゆっくりと、黒く、白く、まばらに降りて来る。天から来るものはどうしてこう清々しいのだろう。雨も雹もみんな清々しいが、雪のこのおおらかな清さはどうだろう。そして又、なぜ車屋の若い衆のいいことばづかいはこうも懐かしいものなんだろう。梨花は雪にあわせてゆっくりと帰り途を行きながら、久しぶりで人に会ったような気がしていた。誰にということもないけれど楽しい人に会ったような気がしていた。