歌人の穂村弘の書評集を読んだ。いかにも義理で引き受けていそうな文章もあれば、これは魂の底の底から書いていると、こちらが勝手に確信するような文章もあって、基本的にこの人の批評とか書評は面白くてためになる。
読んでいる間、この本は面白そうだなと思っても、どこかに書かないと必ず忘れるので、二冊だけメモしておく。
一冊は佐藤文香の句集「海藻標本」で、十代から二十三歳にかけての作品集だという。これが少しも若者っぽさのない句で、渋い落ち着きがある。
雪搔きののち文机をともにせり
くちなはは父の記憶を避けて進む
鞦韆の裏を映せるにはたづみ
音いつぱいにして虫籠の軽さかな
広間より糸の出てゐる夏休
「くちなは」は蛇のことで「にはたづみ」は雨が降ってできる水溜りや流れのことだという。「くちなは」はともかく「にはたづみ」など生まれて初めて見た言葉のような気がする。
ネットのインタビューで別の句も読んでも同じ味わいがある。「手紙即愛の時代の燕かな」「肩こりや鴨が歩いて水を出る」など。
もう一冊は山川彌千枝の「薔薇は生きてる」。
美しいばらさわって見る、つやつやとつめたかった。ばらは生きてる
ほそいしんの鉛筆で書くきもちよさ細いきれいな線が出てくる
手風琴ひいてる兄のあごやわらかそう、真面目な顔して音をさぐってる
ザックリと雪をふんだ、もうひと足、日に照る雪、見ながら、もひと足
これはまるで平成の、普通の女の子が詠んだような短歌である。しかし、2008年に出た本書の解説には「七十五年以上前に詠まれた」短歌だと書いてあるので、それからさらに十年が過ぎている。
長らく復刊が待たれていた文學少女のバイブル、ついに復活!
山川彌千枝が8歳から、結核で亡くなる16歳までに記した散文、短歌、日記、書簡、絵等を収録。生命そのものの明るさと爽やかさに満ちた名著!
佐藤文香の老成ぶりと、1917年生まれの山川彌千枝の若さ。対照的で何ともビックリであった。