書店の平台にある新刊に手が伸びて、そのまま買うという経験を久しぶりにした。本書は山本夏彦の最初のコラム集で、昭和30年代の本である。
この人は同じ内容のコラムを何度も何度も書いているので、一時に大量に読むと退屈する。
しかし何であれ「真理」というものには一種の単純さや退屈さがつきまとう。それと同じ意味で退屈である。まるで数学の公式のように本当で、アルファベットのように単純で、ことわざのようにユーモラスな真理である。
さらに知にも情にも訴えてくる。感心したつもりになってから、少し間をおいて読むと、同じ内容が全く異なる深さを持って、異なる角度から迫ってくる。
もうちょい付けたし。
1. 誰かが「吉田健一は結局いつも同じことを言っている」と書いているのをつい最近どこかで読んだ。自分も倉橋由美子を読むと、同じことを繰り返し書いていると思う。映画監督でもそうで、たとえば小津、ヒッチコックなどは同じといえば同じような作品を残している。
誰であれ(優れたクリエイターであってさえ)人はさほど多くの「表現すべきもの」を抱えてはいないということか。
2. 山本夏彦の名言の人気投票をしているサイトがあった。
先日読んだ「仁義なき戦い」の名台詞の投票コーナーに「30年も経って台詞の人気投票ができる映画が他にあるだろうか」といったことが書かれていたが、山本夏彦はそれ以上である。同じことを何度も書いているうちに、それが決め台詞になっているのだ。
あと30年もすれば、いくつかはことわざ辞典に載るかもしれない。
3. そのサイトの辞典に「神様の下っ端」という言葉が出てきて笑った。天衣無縫な女性を指した表現らしい。いいなあ「神様の下っ端」。