本書は映画監督の西川美和が、映画「永い言い訳」を製作した時期に書かれたエッセー集なので、7割くらいは本人による製作過程の報告のような側面もある。
タイトルは堅苦しそうだが、「X=子供たち」「X=主役」「X=音楽」といった短いエッセーが並んでいるので、Xの部分に言葉を入れて読み替えるような形になっている。
しかし、おそらくそういう意味がほとんど伝わっていない。調べたわけではないが、小難しそうなタイトル→敬遠される、というコースをたどっているだけではないだろうか(書店の映画コーナーは本書より親しみやすい感じの表紙が多いし)。
ちょっとそれは勿体ない。西川監督は堅苦しさを感じさせない雰囲気の人だし、どちらかというと物事がうまくいかずに意気消沈して、しょんぼりしているような時間が長そうで、反省と後悔にまみれた少々自虐的なトーンの文章が多いものの、全体としてはチャーミングで、愚痴っぽくならないさっぱりした人なのだ。しかし、そういう良さもやはりあまり伝わってなさそうである(クイズ番組のレギュラー解答者にでもなれば人気が出るかもしれない)。
よって映画に関する苦労話も、けっこう面白い。
たとえば、映画は基本的に二時間前後と尺が決まっているのだが、表面に出てこない、いわゆる裏設定(主人公の家系図、生い立ち、エピソードなど)を用意する道草が楽しいという西川監督は「一度で良いから時間に縛られず、ページ数におびえず、書きたいものを書きたい言葉で書いてみたい、という希求に突き動かされ」て、小説を書き始めることにする。
ところが実際に書いてみると、部屋の様子を書くにしても、
それらをどんな順序で、いかなる文体で表現するかというところから書き手の技量が測られ始めるのだ。(略)映画の準備の短縮をもくろんで始めたはずなのに、書いて書いても、終りはしない。ひー!
となって、これまた難航する。
2013年の2月に書き始めて小説の第一稿の脱稿が11月、いざ脚本に書き直すと今度は、
同じことを二度書くのは、退屈なのだ。自分で自分の芸当を真似ているようで、うっすらと幻滅することもある。あ、その程度なのね、あたし。もう、これ以上は浮かばないのね、と。
そこからまた書き直しがあって、脚本の完成が2014年の4月という。
まる一年以上の時間と手間をかけて自作を育てられる環境があり、熱意が持続できるということ自体、羨ましいような恐ろしいような気がする。
上記の脚本完成までは、これでもまだ製作過程の前半にすぎず、この先のキャスティングやその他いろいろも悲喜劇的な調子のまま続く。
特に本木雅弘は、演じる役も本人も複雑という二重の複雑さを持っており、引用されるメールの文章からして奇妙で独特なトーンを持っている。「事実は小説より奇なり」という言葉を久々に想起した。