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読んだ本の感想やメモなど

「最愛の子ども」松浦理英子

語り手が「わたしたち」という奇妙なスタイルの小説だが、読みやすいし面白いしで久々に小説に夢中になって、あっという間に読み終えた。そして後述するが、読み終えてからも面白いのであった。

 

最愛の子ども

最愛の子ども

 

 

と言っても堅苦しい、難解な実験小説ではなくて、普段あまり小説とか純文学を読みなれていない人でもスラスラ読めるような、ごくシンプルな文章と筋立てで、ハイライトの場面だけを取り上げると少女マンガ的とすら言えるような物語になっている。また、最後の段階になってやっと明らかになる事柄もいくつかあるので、ちゃんと「終った」という感じで終わりになる点も嬉しい(しばしば純文学作家はその点を軽視するので)。

話を戻して「わたしたち」に関して言うと、3人の主要人物の周辺にいる、同じクラスの女子高校生の何人かが「わたしたち」、という設定になっていて、最初から最後までずっとそのままである。

その割には、自由自在に「特定の誰かの視点から見た出来事」が書かれるので、通常の三人称の小説とあまり変らないような感触がある。だから、その点には特にこだわらないという人が普通に読もうと思えば読める。

しかしこの「わたしたち」が堂々と「捏造」し、推測しつつ思い描く、といった宣言を文中で繰り返しつつ、あれこれの場面に言及するので、これはもう神の視点で語る「作者」とほぼ同じじゃないかとか、「わたしたち」の中には「読者」も入っているのではないか(読者は先行きや背後の関係を推測するので)とか、結局あらゆる創作はそういう風に、誰かの妄想や捏造や空想の産物なんだし、つまり、そういう恣意性に自覚的であり続けながら語りたいことを語りたいように語るという、自意識の高い小説なんだなといった考えもチラチラと頭に浮かぶ。

とりわけ前半のクライマックス、修学旅行の夜の「お仕置き」の場面は、神話や伝説や民話の発生する瞬間はおそらくこうであったろうと思わせるような、虚実のないまぜになった、嘘と錯覚と願望と妄想と希望と欲望と空想と期待と幻がゴチャゴチャに、一瞬にして混ざったような印象深い場面で、真偽もはっきりしない。厳しく見れば全部が空想だし、そう決めてしまうには魅力的でありすぎて、そして客観的に「これはここまでが事実」という線引きはできないようになっている。

ただ、そういう部分が楽しめる人にも、そうでない人にも楽しめる小説で、たとえば主要な三人の人物(同じクラスの女の子三人)というのが、それぞれ「王様」「女王」「息子」とされている擬似的な家族に見立てられている。

その三角関係のバランスが整っていたり崩れたりするというのが本筋なので、とりわけこの三人のイメージ的な配役を実在の女優やアイドルにするとしたら誰にするべきか、というのも考え始めるとかなり楽しい。いや考えずにはいられないと言うべきか。

特に空穂(=皆から愛でられる王子)の役は与田祐希か、あるいは川栄李奈、そして宝塚の男役風の日夏は橋本奈々未か、松井珠理奈か、などと考えてみると芝居のWキャストみたいで面白い。真汐の役はどうしてもイメージできない。

 

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……と上記のような感想を持っていた自分は乃木坂とか欅坂とか、メンバー一覧を見てはあれこれ配役を考えていたのだが、何と作者自身も本作の配役に言及していた。

 

bunshun.jp

 

↑この「作者との60分」によると、

 

  じつはこの『最愛の子ども』を実写化するとしたら、真汐は渡辺麻友さんが合うんじゃないかと思ってるんです。麻友さんが終始ムスッとした不貞腐れている感じでやってくれたら面白い画になるんじゃないかと。日夏を選ぶとしたら松井珠理奈さんかな。空穂は浮かびません。

 

「え~!!」

と、声を出してしまうほど、真汐=まゆゆ説は意外なキャスティングである(私にとっては)。

日夏に関しては、小説後半はほぼ完全に自分も松井珠理奈のイメージだった(何となく正解した気分)。

 

IDOL AND READ 012

IDOL AND READ 012

 

 

空穂に関しては、同じインタビューの前編の、

 

 誰もがちょっとかまいたくなるような、完全に受けの人物ですね。攻撃誘発性もあって。みんなにいじられ、母親にも叩かれる存在。

 

というくだりなど、与田ちゃんそのものである。母親から叩かれているかどうかは分からないが、同じグループのメンバーから首を絞められたりしているので、映像化するとしたら有力候補だと思う。ちなみに「空穂」の読み方は「うつほ」だと考えて心の中で読んでいたのだが、本の中には振り仮名がないのである。

 

乃木坂46 与田祐希ファースト写真集『日向の温度』

乃木坂46 与田祐希ファースト写真集『日向の温度』

 

 

インタビューの最後の方に「窪田空穂から取ったわけではなくて」という発言があり「窪田空穂」は「うつぼ」と読むので、わざわざ「そこから取ったわけでない」と断るのなら読み方としては同じ「うつぼ」なのだろうか。それはちょっとイメージが違う。

 

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