タイトルの通りのアンソロジーである。
大抵の場合、アンソロジーには必ず「ユーモア枠」があって、全体の1割か2割程度は(ミステリやSF,ホラー系でも)ユーモラスな短編が入っているものだ。
上巻ではウッドハウスの「上の部屋の男」がそれに該当する。
しかしシリーズものの一編ではなく単独の恋愛ものなので、笑いの要素は控え目になっている(もしウッドハウスの短篇から一篇だけを選ぶとしたら、「エムズワース卿の受難録」に入っているフレッド叔父さんの話がよいと思う)。
- 作者: P.G.ウッドハウス,P.G. Wodehouse,岩永正勝,小山太一
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2005/12
- メディア: 単行本
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とは言うもののそこはウッドハウスで、ちょいちょい挟み込まれる喩えや話の流れにはやはり名人芸的に冴えたところがある。
下巻のユーモア枠は一篇ではなく、見方によっては何篇か挙げることができるのだが一篇だけ選ぶならノーラ・ロフツの「この四十年」を推薦したい。
こちらはウッドハウスとは違って、ほとんど他の有名作品がない作家である。ピーター・カーチスという筆名でも二十冊ほど出版しているとのことだが、いずれにせよほぼ無名の大衆作家として紹介されている。
主人公の「わたし」はキャリーというおばを介してジョン・ブリヤーという「双子と言っていいくらいの同い年で、それもおたがいの誕生日は四日と離れていない」少年を知る。おばから見るとどちらも甥っ子で、わたしにとっては何かと比較されることになる目の上のたんこぶのような存在である。
こうして比較されるときには、かならず、わたしの方がだめなのだった。いまいましいことに、ジョン・ブリヤーというその子は、サッカーに出ればかならず点を入れるし、クリケットのバットを握っても、かならず相当の点数をかせぐ。こっちは、スポーツとなったら救いようがなかった。サッカーでは泥んこの中で転んで風邪をひいたあげく気管支炎を起こしたし、クリケットではかんたんな球を落として失点したあげく鼻血を出す始末だったのだ。
二人は直接には顔を合わせることがないまま、やがて大人になり……、という話で、最後にちょっとした真相がわかる仕組みになっている。
何しろ本文が全部で12ページという小品なので、驚天動地の大どんでん返しという訳にはいかないが、落語のようなシンプルな筋運びで語り口も巧みなので、何度読んでも最後には胸の支えがスッと消えるようないい気持ちに浸れる。
わたしたちは大笑いした。
という終盤の一行など、何の変哲もない表現だが、ここでいつも胸のあたりが温かくなる。寝る前に読むと安眠できる名品であり、大人が読んでも子供が読んでも楽しめる。