先日ちょっと触れた佐藤文香の句集「海藻標本」は結局、購入して読んでみた。
やはり老成しているというか、最初から油が抜けきっているような味わいである。若者が無理に古さを演じているような、そぐわない感じが全くないので、ごくごく自然に俳句の最も本質的な、芯の部分を真っ直ぐに受け継いでいるような印象を受ける。読んでいると、こちらまで心が落ち着いてくる。
そのあたりの感じを、師匠による「序」から引用してみる。
俳句の主題にすれば先ずは失敗する青臭いもの、叫びたいもの、私の思いを訊いてくださいという煩わしいもの、謂わば若者のタマシイを、俳句作品としての完成のために、この高校生は既に手放し得た。それが不思議であった。早々に、この地点に行っていいのかと、 私は少しさびしく少し苛立った覚えもある。
語り過ぎず、それでいて焦点の絞り方が垢抜けていて明快。各句、取り合わせた季語が所謂付き過ぎず離れ過ぎずに景を広げることに力を与えている。
決して難しい内容ではないのだが、この人の句の良さは伝えにくい。最後に自分の好きな句をいくつか挙げてみる。
足長蜂足曲げて飛ぶ宝石屋
行く春の聞くは醤油のありどころ
傘差すに音のいろいろ芝青む
海に着くまで西瓜の中の音聴きぬ
頬杖や宇治金時に底の見え
水加減見に行つたきり敗戦日
蝙蝠の浮世の視線持てあます
アイスキャンディー果て材木の味残る
晩夏のシネマ氏名をありつたけ流し
秋の湖しばらく息を吐かずにおく
マフラーの匂ひの会話してをりぬ
牡蠣噛めば窓なき部屋のごときかな
暗室に時計はたらく冬の蝶
スケートの靴熱きまま仕舞はるる