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読んだ本の感想やメモなど

「映画を撮りながら考えたこと」是枝裕和

本書は是枝裕和がその監督作品、テレビのドキュメンタリー作品などを振り返った本なので、代表作くらいは観ていないと意味がわからないかもしれない。
創作全般に関して、あちこちに面白い箇所があったので、メモしておく。

 

映画を撮りながら考えたこと

映画を撮りながら考えたこと

 

 

まずは「映像は自己表現か、メッセージか」という問い。これは大学で学生たちからよく問われるとのことで、はてなブログを書いている人も「自己」を「表現」するために書いている人が多いのかもしれない。

個人的にはブログであれ創作であれ、何をどう書いても結果的に「自己」は「表現」されてしまうものではないかと思う。しかし最初から「自己」を「表現」しようと励んでいる訳ではないので、順番が違うという感じである。

是枝監督は以下のように書いている。

 

少なくとも僕はドキュメンタリーからスタートしているので、決して作品が「私」の中から生まれてきているのではなく、「私」と「世界」の接点から生まれ出てくるものだと認識しています。

 

この部分の小題は「イマージュか、オマージュか」(p.234)となっていて、写真においては「作家の想像(イマージュ)」と「被写体への愛(オマージュ)」のうち後者が大事であるという考え(アラーキーによる)も紹介されている。

似たような対立は別の箇所でも繰り返して述べられており、「作家でなく、職人として(p.384)」では予め与えられたモチーフがある場合、主演の役者がある場合、原作の漫画がある場合など、作家性がなさそうな「職人」としての仕事が自分のキャパシティを広げたとのこと。


この話題とは別に、リアリティに関する部分(三谷幸喜の話)も面白かった。
三谷幸喜は脚本を書くときに取材をしないでいたのだが、唯一取材をして、かつ自分の母親の人生を重ねて描いた人物に対して、初めて「リアリティがない」と言われたという。

 

「唯一リアルな話を書いたら『あんな人いない』と言われてショックだった。いかにリアリティというものがいい加減かということをつくづく感じた」

 

とのこと。確かに、ありそうでなさそうな曖昧な話にすら我々は「あるかもしれない」と感じることがあるし、なさそうに見えて実はあるような、驚愕の現実もある。その基準は曖昧である。ノンフィクションでも本当っぽく見えそうな部分に限って、実は大嘘だったりするので何とも言えない。

 

他には映画製作に関する資金の話題(けっこう細かい)、テレビのドラマやドキュメンタリー番組に関する話題など、読み応えがある。

 

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「悪いのはみんな萩本欽一である」など、知らなかった。Youtubeに映像が残っている。