「昭和初期、厳格な軍人の家庭で生まれ、ギリシア神話に傾倒し、その内面のあまりの豊かさから周囲から迫害を受ける」
「精神の貴族ともいうべき女の子が辛い目に遭う話」
という「オードリーとフランソワーズ」の紹介文句に惹かれて読んでしまった。
山梔のような無垢な魂を持ち、明治時代の厳格な職業軍人の家に生まれ育った阿字子の多感な少女期を書く自伝的小説。著者の野溝七生子は、明治30年生まれ、東洋大学在学中の大正13年、特異な育ちを描いた処女作の「山梔」で新聞懸賞小説に入選、島崎藤村らの好評を博す。歌人と同棲、後大学で文学を講じ、晩年はホテルに一人暮す。孤高の芸術精神が時代に先駆した女性の幻の名篇の甦り。
本を読むことが好きで好きでたまらないというタイプの女の子が、当時(およそ90年くらい前)いかに迫害されていたかがよくわかる。
女学校に行くだけで変わり者で、女学校の中でも変わり者、卒業すると就職するでもなくバイト先があるわけでもなく(外出もほとんどしてなさげ)ただ親や親戚の勧める結婚話があるだけ。
これに比べると勝気、変わり者、病弱、変な名前という点でそっくりな「TUGUMI」に出てくるつぐみの方は遥かに自由を満喫できている。
ある日女は、阿字子に向って、
「あなたのおうちには、昔からの好い御本が、どっさりあるでしょう。お祖父さんは、聞えた学者でいらしたのだから。」
と云った。阿字子はしかし、そんな本なんか、一向に見当たらない旨を答えると、女はすかすような眼つきで、笑い乍ら、「私が、あなたなら、きっと探し出して見せるわ。好い児だからそんなに腕白ばかりしていないでご本を探してごらんなさいよ。あなたは、きっと好い児になれるんだから。あなたは、本を読むのはきらい?」
好きで好きで叱られる位好きだと答えた。
前半のこの辺はともかく、後半は家族の無理解と戦っては泣き、また戦っては絶望の日々になってしまう。
この時代の女の子じゃなくてよかった、と言いたいところだが、この時代の男だって碌なものではない。
気の毒なのは輝衛という兄で、最初は主人公の阿字子に同情すらしていたのに、最後の方では随分と変貌してしまう。
阿字子はもう泣いてはいなかった。不思議に落ちついた、冷やかな声が、色の褪せた唇から、低く、静かに答えた。
「阿字子を、野良犬のように辱めなすった京子さんのほかに、阿字子はどんな京子さんも知りません。」
「それが貴様の言葉か。」
「親同胞の厄介者の、恥さらしの気ちがいの、好い新聞種の、世間の物笑いのいう言葉です。」
阿字子は、刃のような冷たさで切るように云い放った。
「何。」
「輝衛さん、あなたは父さんに打たれたことがあるんですか。」
そう云って、阿字子は、不意に涙を落した。「それがどうしたのだ。」
「阿字子は、打たれてよかったことをしたと初めて思い知りました。打たれて、打たれて、おどおどして育った子には、そんな残酷な真似は能きないのです。あなたは残酷です。泥棒猫だって、あなたの前の阿字子ほどの目には会いません。阿字子が死ねばいいとでも仰云るのですか。」
「死ねば好い。二言目には、死ぬ死ぬと、何だ。死ねるものなら死ね。今、俺の目の前で死ね。」
「死ねば好い」「死ね」「死ね」と連発で、死ね死ね団ですらここまで口汚く言わないのではないか。いくら何でもこりゃひどい。