めちゃくちゃブックス

読んだ本の感想やメモなど

「パリ左岸のピアノ工房」T.E.カーハート

パリにいるアメリカ人の筆者が、子供の送り迎えの途中でピアノの部品や修理工具、中古ピアノを販売する店を発見する。その店の職人リュックと親しくなり、ピアノを買ったりまた習い始めたり……という風に始まる、ピアノをめぐるノンフィクション。

とは言っても文章の感触は「ノンフィクション」というよりは長編エッセイ、長編エッセイというよりは一人称の小説に近いもので、小説ばかりのクレスト・ブックスの中の一冊として出ていることに違和感がない。

 

パリ左岸のピアノ工房 (新潮クレスト・ブックス)

パリ左岸のピアノ工房 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

ピアノを習うという経験や記憶、考察やピアノという楽器の歴史、エピソードなどが話の中心になるが、見方を少し変えるとこの本は筆者がフランス人社会に受け入れられてゆく過程を描いた本でもある。

まずピアノを買う段階からして、単に金を出せばよいというものではなく、そこにはフランス的な手続きがある。仲良くなってからも、どの程度親しくすればいいのか、どんな会話をするべきか、どこまで踏み込んでいいのか、といった気配りが常に必要になる。

筆者がピアノへの興味と音楽への愛情を手がかりにして、少しずつフランスに溶けこんでゆく過程でのスリル、不安、喜びを読者も同じように感じることができる、そういう読み物である。


印象的な人物を挙げると、酔っぱらいの調律師ジョス(ほとんど短編小説のような17章)、ピアノを筆者の家に持ってきた男(250キロ以上あるピアノを一人で担ぐ)、ほんの一瞬だけ登場する学校の先生ミス・キリアンとミセス・パーマー(天使と悪魔)、「弓と禅」をプレゼントしてくれるピアノの先生アンナ、伴奏者ジャン=ポール、表面は綺麗なのに中身はボロボロのピアノを売ろうとした老婦人(15章)、そして20章「マスター・クラス」に登場する理想的な先生二人、22章「ファツィオーリ」で独力で世界最高のピアノ(のうちの一つ)を作り上げた男、23章のピアノを弾く老人などなど。

 

そのかわいらしいサイズや美しい細部を見ているうちに、わたしの頭にひとつの言葉が浮かんだ。初めは否定してみたが、それでもしつこく頭から消えなかったのは、<けなげ>という言葉だった。実際、このピアノは<けなげ>に、楽器のシンデレラみたいに見えた。意地悪な姉たちによってあらゆる権利を奪われていた負け犬が、最後には大きな勝利を得るというイメージが頭の中をぐるぐるまわった。

 

そんなふうに自分の演奏から注意をそらしたのは、老人の謙虚さの表われなのだろう。わたしはソナタについて話したかったし、彼にお礼を言いたかった。もっと演奏してほしかった。けれども、この老人に対して心から敬意を表わしたいのなら、なにごともなかったかのように楽器のことを話すのが礼儀なのかもしれないと思った。わたしたちの思いは彼に伝わっているだろうし、それ以外のことは余計な雑音にすぎないのだから。

 

たとえどんな曲を弾くときでも、わたしのピアノはじつに深い満足感を与えてくれた。感情的、肉体的、知的、精神的な満足感はほとんど無限で、わたしの生活にきわめて大きな影響を与えていた。わたしは部屋の反対の端から眺めて、その三角のコーナーが空っぽだったときのことを思い出そうとしたが、それはまるでべつの人生でのことだったような気がした。


クレスト・ブックスは文字の組み方や持った時の軽さ、柔らかさが結構いい感じなので、もう何冊か読んでみることにする。