めちゃくちゃブックス

読んだ本の感想やメモなど

「細雪」谷崎潤一郎

このブログは最近読んだ本の感想と、十年ほど前に書いた読書日記の写しの記事とが混ざっている。混ざっていても何の問題もないのだが、「細雪」の場合は「上」「中」「下」に感想が分かれているので、一回にまとめておく。

まずは上巻の感想。

 

細雪 (上) (新潮文庫)

細雪 (上) (新潮文庫)

 

 

人に勧められて「細雪」を読み始めた。
特に大きな事件があったり、劇的で意外な展開が目白押し!という話ではなくて、ごくごく淡々と、生活や事件が描かれてゆく。

文章のリズム、関西弁のリズム、季節やエピソードが推移するリズム、そういった全体の流れのリズムが気持ちよいので、すいすい快適に読むことができた。

説明的な部分すらリズムにうまく乗せられて、つるりと読めてしまう。

 

次は中巻。

 

細雪 (中) (新潮文庫)

細雪 (中) (新潮文庫)

 

 

中巻は水害、長女の東京行き、台風、ドイツ人家族との別れ、チクリの手紙、その他盛り沢山で、最後もまたひと盛り上がりある。

 

上巻の中心人物が雪子だとすると、中巻は妙子編といえるような内容で、水害の辺りも、そこから尾を引く人間関係も妙子のものだ。

 

もう一人、影の主役とも言えるのは女中のお春で、この子の来歴の辺りは声を出して笑うほど可笑しい。不潔でお喋りで汚れたものは丸めて押入れに突っ込んでおいて、ご主人様の下着を勝手に履いて、つまみ食いをして、しかも臭いという女の子。

 

だがしかし、愛嬌があって評判がよく、いざという時には気が廻るという、良い面もある。東京にいる時に「やっぱりあの子もいい子なのよねえ」みたいな話をしているとチクリの手紙が来て、「今、お春を関西に戻したらやばい」と幸子が判断するあたりの切り替わりぶりは可笑しかった。

 

寿司屋の主人を「新青年」の挿絵に喩える所も実に可笑しかった。上巻の時の感想にも書いたが、この上なく快適なテンポで、速すぎず遅すぎずの展開がいい。

 

ついでに言うと漢字と仮名の割合も自分の感覚にぴったりで、そういう所も心地いい。

 

 

最後は下巻。

 

細雪 (下) (新潮文庫)

細雪 (下) (新潮文庫)

 

 

やっと読み終えた。名作でかつ大作であるだけに、感想をまとめにくいので、箇条書きにすると、

 

・読んでいる途中で谷崎潤一郎の「芸談」という文章や、荷風の小説への批評を読んだため理解が進んだ(小説には「たるみ」が必要だ、とか、人物は類型的でいいとか)。

 

・この小説は実際には「四姉妹の物語」というより、三女と四女の世話をする「次女夫婦の物語」と思える。

 

・心理にしても経済的な事情にしても、さほど深く突っ込まない中庸さがある。たまたま狂言の入門書を読んでいて「中庸」について触れられていたので、ちょっとそういうことも考えた。刺激的なフィクションに群がるのは「野次馬」であるという見方。

 

・人間心理の裏の裏まで見通してえぐり抜くような心理分析はない代わりに、「ふん。ふん」しか言わない雪子のような人物がはっきりと目の前に浮かぶ。

 

・「登場人物と一緒に長い時間を過ごすような小説」という言葉を小林信彦の本で知って印象的だったが、それは吉田健一が「細雪」を解説した文章の中にも出てきた。これは誰がオリジナルなのか、もっと先に起源があるのだろうか。

 

・「此れごと置いてっちゃって」という台詞がやけにリアルだった(御牧の台詞)。

 

・本文に「細雪」という言葉が出てこない(多分)。

 

・この続きはどうなるのだろうか。「細雪(戦中編)」「細雪(戦後編)」……そうなると悦子の一代記になりそうな感じか。 

 

この感想を読み直してみると、「此れごと置いてっちゃって」というセリフは今でも印象的で、時々思い返しては感心する。「此れ」というのは確かお盆に何かが乗っている状態だったと思うが、こういう風に普段の生活の中では使うものの、小説ではあまり出てこないセリフというものが時々ある。それを書けてしまうというのは凄い。

それから自分が読んだのは新潮文庫版ではなくて新潮社の日本文学全集の、赤い箱に入っている新書サイズの本だったことを思い出した。旧仮名遣いで書かれた長編小説を読んだのは本作が最後だったかもしれない。

 

細雪 (中公文庫)

細雪 (中公文庫)

 

 

これから読もうという人には中公文庫版を勧めたい。なぜかというと田辺聖子の解説がたいへん素晴らしいので。

感想の最初に「人に勧められて」とあるが、誰から勧められて読む気になったのか、さっぱり思い出せない。

もし私が誰かに勧めるなら「ユーモア小説」として推薦したい。とにかく読んでいる間じゅうずっと楽しい気分が続く小説なので、悲劇的な事件が起きるにしても、決して暗すぎる方向へは行かないのである。自然に修復されるというか、そういう「時の流れ」も含めて、独特の明るさ、広さ、大らかさに満ちている。