「ロマネスク」は短編集「晩年」に収められている短篇で、集中もっともユーモラスな作品である。
仙術太郎、喧嘩次郎兵衛、嘘の三郎という、名前そのままの特徴を持った三人の男の小伝風の文章が並ぶ構成になっている。
最初の仙術太郎は、様々なエピソードがあるものの、生まれてからしばらくは大した人物であるようでもあり、単なる怠け者のようでもありはっきりしない。
村のひとたちは、それでも二三年のあいだは太郎をほめていた。二三年がすぎると忘れてしまった。庄屋の阿呆様とは太郎の名前であった。太郎は毎日のように蔵の中にはいって惣助の蔵書を手当り次第に読んでいた。ときどき
怪 しからぬ絵本を見つけた。それでも平気な顔して読んでいった。
そのうちに仙術の本を見つけたのである。これを最も熱心に読みふけった。縦横十文字に読みふけった。蔵の中で一年ほども修行して、ようやく鼠と鷲 と蛇 になる法を覚えこんだ。鼠になって蔵の中をかけめぐり、ときどき立ちどまってちゅうちゅうと鳴いてみた。鷲になって、蔵の窓から翼をひろげて飛びあがり、心ゆくまで大空を逍遥 した。蛇になって、蔵の床下にしのびいり蜘蛛 の巣をさけながら、ひやひやした日蔭の草を腹のうろこで踏みわけ踏みわけして歩いてみた。ほどなく、かまきりになる法をも体得したけれど、これはただその姿になるだけのことであって、べつだん面白くもなんともなかった。
ごくあっさりと鼠や鷲や蛇になるあたりは、伝説や説話風である。
しかし「蛇になって、蔵の床下にしのびいり
ちなみに太郎の仙術の
奥義 は、懐手 して柱か塀によりかかりぼんやり立ったままで、面白くない、面白くない、面白くない、面白くない、面白くないという呪文を何十ぺん何百ぺんとなくくりかえしくりかえし低音でとなえ、ついに無我の境地にはいりこむことにあったという。
西洋のファンタジー風でも「アラビアン・ナイト」風でもなく、「面白くない」という言葉を繰り返すという呪文は、いかにも太宰治風のセンスである。
やはりこの小説もテンポよく、続く「喧嘩次郎兵衛」「嘘の三郎」も流れるように話がスイスイ進む。
この三人が顔を合わせて、これから大長編が始まるような雰囲気でサッと幕になってしまうのは惜しいが、短篇としては粋である。
一応、今回で太宰関連の紹介は一旦お終いだが、ユーモアのある作品に関しては、その手のアンソロジーも出ている。
また、ユーモラスな作品の案内に関しては「本当はヘンな太宰治」もお勧めする。
http://www.din.or.jp/~smaki/smaki/SF_F/kanren/suzu_daz01~10.html#su_daz06