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「女生徒」太宰治

 

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6月19日桜桃忌にちなんで、太宰治の小説を何点か採り上げてみたい。

太宰治というと、必ず代表作として「人間失格」「斜陽」「走れメロス」などが挙げられる。「苦悩して自殺した作家」というイメージだが、時代が下るにつれてそのような面の他に、面白い作家としての側面が見直されてきたようである。

星新一や小林信彦は、かなり前から世間一般のイメージとは間逆の「ユニークな作家」として太宰治を捉えていた。

 

女生徒 (角川文庫)

女生徒 (角川文庫)

 
女生徒 (角川文庫)

女生徒 (角川文庫)

 

 

個人的には、ユニークでユーモアのある作家としての太宰治を知るための作品としては「女生徒」が手ごろではないかと思う。

 

 

 あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっとふすまをあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない。箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ、少し近い。パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。濁って濁って、そのうちに、だんだん澱粉でんぷんが下に沈み、少しずつ上澄うわずみが出来て、やっと疲れて眼がさめる。朝は、なんだか、しらじらしい。悲しいことが、たくさんたくさん胸に浮かんで、やりきれない。いやだ。いやだ。朝の私は一ばんみにくい。両方の脚が、くたくたに疲れて、そうして、もう、何もしたくない。熟睡していないせいかしら。朝は健康だなんて、あれは嘘。朝は灰色。いつもいつも同じ。一ばん虚無だ。朝の寝床の中で、私はいつも厭世的だ。いやになる。いろいろ醜い後悔ばっかり、いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、身悶みもだえしちゃう。
 朝は、意地悪いじわる

 

 

「女生徒」の書き出しである。引用部分最後の「身悶えしちゃう。」「朝は、意地悪。」など、これが男の作家の書いたものだと思って読むと気味が悪くなりそうだが、それ以上にいかにも女の子の考えそうな発想と語彙が散りばめられており、テンポの良さに巻き込まれることもあり、読み終える頃には作者のことなどすっかり忘れてしまう。

思うに、そこそこ筆力のある女流作家は男の一人称で小説を書けと言われればスラスラ書けそうだが、男性作家で女性の一人称で書ける資質を持っている人はごく僅かである。前々回触れた「手紙魔まみ」での穂村弘は、そういう意味では太宰治「女生徒」の継承者である。